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政権交代から間もなく3か月 [社会]

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

  • 作者: ジョージ・オーウェル
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2009/07/18
  • メディア: 文庫

政権交代から早くも3か月になろうとしています。

この是非、「ハネムーン期間」の終了とともに

問われることになるでしょう。

何だか論戦はかみ合わず、

予測通りの小沢院政。

民主党に投票した人は

期待を裏切られたのか、そうでもないのか……?


なんでもかんでも積極的は疲れます [社会]

 積極的であれ。頑張れ。希望を持て!

 そんな応援歌やらエールがあちこちで聞かれます。かたや世間は、厳しい不況というわけ。この不況を元気に乗り越えよう。希望は必ずある。

 人間同士、お互いのことを理解しあい、助け合うことは大事。しかしそれとこのエール満載社会とはちょっと違うと思う。

 誰でも前向きに生きてゆけることがいいのはわかっているはず。しかし街中、どこを歩いても頑張れ、頑張れではさすがに疲れる。

 負けないことがいいことはわかる。しかし生きていれば負けることもある。負けてもそこでしぼまないことが大事。そのためには励ましより気分転換なんてこともある。

 稽古、稽古で課題を乗り切るなんて方法もある。事実、プロとして名を成した人は、スランプを前向きに乗り切っている。なるほど、そういうものだ。しかしそればかりではないだろう。

 だめなとき、だめはダメと認める方法もある。負け癖をつけないために、負けるとはいわない。それは大事だろう。しかしそれだけでは疲れる。

 人間の気分は神経伝達物質に左右されている。欝の人は「セロトニン」という物質が不足していることが知られている。だめなとき、無理に自分を引き上げようとすると、たぶんこのセロトニンを出しすぎてしまい結局欝になる。運よくならない人は、きっと人並み以上にセロトニンが出せる人なのである。

 気分は病気、くらいに考えていればだめなときも乗り切れる。そんな場合だってあるはずだ。フランスの哲学者アランも、確かそんなことをいっている。

 どこもかしこも頑張れ、頑張れでは疲れてしまう。そんな人もいるのだ。少し表通りから逃れて、どこかで自分の好きなことをすればいい。現実逃避でも問題放棄でもいい。まず生きていられることだ。それだけで十分大事なことを、わたしたちはしているのである。


GMが破綻だそうですが・・・ [社会]

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

  • 作者: ジョージ・オーウェル
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1972/02
  • メディア: 文庫
動物農場 (角川文庫)

動物農場 (角川文庫)

  • 作者: ジョージ・オーウェル
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1995/05
  • メディア: 文庫
1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1

  • 作者: 村上春樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/05/29
  • メディア: 単行本

 世界最大の自動車メーカー、ゼネラル・モーターズ(GM)が経営破綻したことが、新聞の第1面で報じられていた。世界で最大級の会社の崩壊だから、当然といえば当然の反応。

 このことで、日本の自動車メーカーの反応もかなり悲観的。

 GMは日本の自動車メーカーにとって、経営・技術などさまざまな面でモデルとなった会社だとか。師匠が倒れたようなものと、コメントする企業のトップもいたが、そんなものなのだろうと思う。

「100年に一度」の不況。同じ船に乗る同士。共感を持ちたいもの。自分だけよければいいという傾向には、決別したい。苦しみや辛さが共有できれば、きっと楽しみも共有できる。

 そう思う。


世襲のこと [社会]

美味しんぼ 102 (ビッグコミックス)

美味しんぼ 102 (ビッグコミックス)

  • 作者: 雁屋 哲
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2008/06/30
  • メディア: コミック
 世襲議員のことが、与野党で議論されています。
 選挙が近いということで、得票狙いなのは否定できないでしょう。
 自民党の中興の祖、小泉元首相も次男に選挙区を禅譲する、いわば世襲をすることになりました。
 このことで、与党自民党は、次男を公認しないといっています。
 父・純一郎氏もしかたがないと述べています。
 しかし小泉氏の選挙区には、自民党公認の候補は立ちません。また次男当選の場合、「追加公認」もあり得ると。
 かつての「追加公認」によって議席を増やすことを公言しています。
 これは明らかに国民への騙しなのですが、投票率次第では十分自民党議員として追加公認され、
 結果ことはなしで終わる公算は大でしょう。
 各党で検討されている世襲を公認しないという方針(マニュフェスト)では、
 現役の世襲議員は逃げ切りで認められます。
 また、先代が辞任した直後の選挙で立候補するときに限り、認めないという内容になっています。
 これでは明らかにザル法ではないかと思います。
 世襲が悪いというのではないことは、麻酔薬として使われるヘロインやコカインそのものに罪がないのと同じ。
 問題は制度や地位を有利に生かして、血族で固める人間(とくに親父)のやり方に問題があるということ。
 親から立派な政治学を得ているなら、それは優秀な人材として登用すべきです。
 こうなると世襲禁止は、社会には不利益に働きます。
 また、世襲を禁止することは憲法精神に違反します。
 世襲禁止を法律化するのではなく、政党内あるいは議員内で不文律とすればいい。
 それでも出したい世襲の候補がいれば、その理由を明記して出せばいい。
 また、不祥事を犯した議員については次の選挙では別の選挙区から出ないと立候補できないとする。
 この規則で世襲議員についても、親が不祥事で辞任した場合は、親の選挙区を引き継げないとする。
 とかいったことを取り決めればいい。
 議員の地位の保護は、戦前のファシズムへの反省だということはわかりますが、これが特権化に利用されてはたまりません。
 議員、官僚、公務員の既得権化した権利を見直すべし。
 そもそも既得権って何よって、それおかしいでしょ!

熱心さは決していいものにあらず [仕事]

 [フリーダイヤル]会社にとってありがたいのは「熱心な」サラリーマンということだと思います。
 熱心に、ということは会社の決めたことに対して疑問を抱かず、目標達成に邁進するということ。
 進め! と会社がいえば、文句もいわずにその言葉通りに実行する。
 部下にその指示に従わない者がいれば、督励し檄を飛ばし、叱咤激励して命令遂行を目指す。
 体育会系とかいう人たち。
 もちろん体育会系の人を十把ひとからげにダメとはいいません。
 彼らによっていろんな困難が達成されてきたことは否定できません。
 しかし社会は、どうしても体育会系を重視しています。
 その反面で文科系タイプの人種は割を食ってしまいます。
 体育会系サークルに在籍しているほうが、就職に有利というのがひとつの証拠。
 残念ながら文科系サークルにいたり、「帰宅部」の人は人気がありません。
 体育会系の人がすっかり就職を確保して、あまっていたらどうですかといったところ。
 生き方に多様性があるように、体育会系にいるから有利とは。
 社会の通念として、一定の枠をはみ出た人はどうしても不人気になる。
 で、熱心な方とは、大抵体育会系であるというのは、偏った見方でありますか?
 いまの動きに疑問を持つ者は、体育会系にあらず。平気にあらざれば人にあらず、ですか・・・・
 そうして会社組織は非文科系、体育会系(全部ではないことをお断りしますよ)、
 いわゆるアナーキーになれな人たちによって作られている。
 そしてその結果どうでしょう。最近の企業の度重なる不祥事
 食品偽装、不正な経理、脱税云々
 すべては「熱心な人たち」によって行なわれてきた。
 熱心さとは特定の対象を求めます。そしてその対象について、熱心な人たちは疑問を持ちません。
 だから会社がしていることを、内心では悪いと気づいていても、
 会社のしていることだからと、不正をしてしまう。
 あるいは見ても見ぬ振りをする。
 忠君愛国、疑問は敵だ。すべては会社のために奉仕せよ!
 自己滅却、ただ与えられたものを必死にこなせ。
 それが悪いとか、ふさわしくないとかは、別のお偉い人たちにやらせろ。
 そんなこんなで、社会はときにおかしな方向に行ってしまいます。
 太平洋戦争に突っ走った日本も、大抵は一部の戦争で利益を得られると踏んだ人たち(本当の意味で戦争の主導者)と
 国の為と思い込んだ熱心な人(つまり愛国者)
 それに引きずられたほぼ一億の国民によって行なわれたとはいえませんか?
 仕事に熱心です。というのは止めましょう。
 「熱心さ」を売りにするという考え方には、疑問符をつけておきましょう。

流行に鈍感? [社会]

ペール・ゴリオ パリ物語 バルザック「人間喜劇」セレクション (第1巻)

ペール・ゴリオ パリ物語 バルザック「人間喜劇」セレクション (第1巻)

  • 作者: バルザック
  • 出版社/メーカー: 藤原書店
  • 発売日: 1999/05/30
  • メディア: 単行本

 いま日本では、新型インフルエンザの感染が広まり、国民は不安な毎日を送っている。市販のマスクは売り切れで、まず手に入らない。ネット販売でもかなりの高値がついている始末だ。

 マスクのインフルエンザ対策効果については、専門家も十分に認めているわけではない。そもそもマスクの繊維では、ウィルスの侵入を防ぐには目が粗すぎるからだ。しかし一定の効果はあるという。それも事実だろうと思う。わたしは専門家を全面的には信頼しないが、完全に否定するつもりはない。

 インフル蔓延はさておき、このマスク不足だ。危機意識のあらわれといえばそれまでだが、それ以上のことがこの現象から伺える。相乗効果とでもいうのか、周囲が動き出すと、その流れに遅れたらまずいという意識(あるいは潜在意識)が働くのだろう。

 そうしていつしかそれが社会全体に広まってゆく。

 だがわたしにはその傾向に従いきれないところがある。周囲が動いていても、なぜか自分が動かなければという意識がわいてこない。備蓄を10日分確保しろとかいってもだ。手洗い、うがい、洗顔は普段から行なっている。

 流行に敏感でない。つまり世の中に乗り遅れることは一種の罪悪、みたいな風潮だ。しかしそんなことに飲み込まれるのは面白くない。世間に逆らって、逆流を覚悟で進むこともあっていい。

 人間の分類。2種類の分類をここでプレゼンします。①同調するタイプ②同調できないタイプ。

 同調できない自分のような人間は、世間の動きが活発化するとむしろ気持ちが引きます。そっちに行きたくないと思う意識が働くのです。これが社会への不順応の原因。お蔭様で周囲とはいつも何かしらの壁みたいなものを感じて、ずっと生きてきました。

 でも生き方が快適になるからといって、同調するタイプにはなれません。自分は流行に鈍感。そういうことも甘んじて受け入れるしかありませんが。


何でもかんでもプラス思考・・・ [人生]

人間失格 (集英社文庫)

人間失格 (集英社文庫)

  • 作者: 太宰 治
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1990/11
  • メディア: 文庫

世の中で、マイナス思考なんていうと怒られる。何でもかんでもプラス思考になりなさい。

明るく、積極的になりなさい。

希望を持ちなさい。あきらめないで行動しなさい。

夜はいつまでも続かない。

不幸は幸福になるための前段階。

人生には必ずいい瞬間が訪れる。

 

いえいえこれらばかりではありません。

でも人生に予定調和はありません。

わたしたちの人生は、わたしたちが書いたシナリオ通りにはまいりません。

さらば、プラス思考。

とはいかないまでも、何でもかんでもプラスにつなげることには疑問。


100年に一度・・・! [仕事]

スラムドッグ・ミリオネア (名作映画完全セリフ集スクリーンプレイ・シリーズ)

スラムドッグ・ミリオネア (名作映画完全セリフ集スクリーンプレイ・シリーズ)

  • 作者: 曽根田 憲三
  • 出版社/メーカー: フォーインスクリーンプレイ事業部
  • 発売日: 2009/04
  • メディア: 単行本

「100年に一度の経済危機」という言葉が世の中で踊っています。

 でもありえね~

と思います。

 

だって、世界大不況ってのは

1929年です。

あれ以上の不況ってのがあるんでしょうか?

もしそれ以来のというなら

「80年に一度」というのが正しい。

 

とにかく「100年」は大げさ。四捨五入もほどほどに。

 

それと、不況、不況と騒ぐときは

どこかで何か不穏な動きがあると・・・・

コンスピラシー・セオリー(Conspilacy theory)という言葉があります。

世の中の動きには、ある秘密の結社、エスタブリッシュメントの暗躍がある。

 

そんな見方のことですが。

そんな気持ちが起きるほど、異様な状態のいまの社会。2684587


アウト・ブレイクか [人生]

2684584ホット・ゾーン―恐怖!致死性ウイルスを追え! (小学館文庫)

ホット・ゾーン―恐怖!致死性ウイルスを追え! (小学館文庫)

  • 作者: リチャード プレストン
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1999/03
  • メディア: 文庫

 

新型インフルエンザにおびえる毎日。

確かに怖いと思います。

 

インフルは風邪の延長みたいな病気と思っていましたが、

あにはからんや。

 

「感染列島」という映画を見ました。

(インフル騒ぎの予習という目的でございまして)

 

映画のことはさておき、

病気の劇症の描写がときどき出てきます。たぶん、あれは本物を意識しています。

 

激しい出血をともなって、

発作を起こして死ぬ。それがインフルの症状のリアル。

 

こんなのにかかって死ぬのか。

確かに怖いことです。

 

で、日本からマスクがなぜか消えました。

インフル対策ってことでしょう。それはわかります。

 

でもってトイレで手を洗いましょう、うがいをしましょう、顔も洗いましょう。

という掛け声。

 

こんなことになると、大抵人間はふたつの行動パターンに別れるようです。

①極端に用心深くなる

②自分は大丈夫だ~と豪傑気取りになる

 

はてさて、自分はどっちですかね?


不便利さを求めて [社会]

おくりびと [DVD]

おくりびと [DVD]

  • 出版社/メーカー: アミューズソフトエンタテインメント

未来は理想の世界。

子どもの頃から、そんな未来像をインプットされて育ってきました。

当時は1960年代後半から、70年代といったところ。つまり「高度成長時代」の最終章の時期でした。

きっと21世紀になったら、わたしたちの生活はいろんなことで便利で、すごしやすくなるに違いない。

当時子どもたちであった、わたしの同世代の人たちの多くはきっとこんなことを思いながら、未来への夢をふくらませていたのです。

そしてその未来が来ました。

果たして、世界はわたしたちが思っていたとおりになったのでしょうか。

もしかして、当時の人がタイムスリップでもして、いまの時代にやってきたら、すごいと感心するかもしれません。

わたしは社会の進歩と一緒に時間を経過してきた。だから変化というものに鈍感になっているのでしょう。

たとえば、ずっと一緒に生活している家族の変化には、あまり気づきません。ところが何年ぶりかで訪ねてきた親戚が、家族の変化に気づく。

なるほどわたしたちは、いつも見ているものの変化には気づかないものでしょう。

ですが、といいますか。だから便利さと裏腹にある、いろんな不愉快な側面にも気づかないでいる。

そこに、いまの社会のストレスの原因すらある。

そう思うことがときどきあります。

駅で切符を買うのに、わたしたちは自動券売機を使います。

ところで、券売機というのはなんとも厄介で腹立たしい思いをさせられる機械だなと感じます。

たとえば、古い硬貨。何度入れても機械からつき返される。そんな経験をした人はいませんか。

わたしはそんなとき、とても不快です。贋金でもないのに、どうしてこの硬貨は使えないのか?

もし窓口が、わたしが子どもだった当事のように、駅員であればこの硬貨は間違いなく受け入れられたものである。

しかし券売機は、まるでわたしの硬貨を受け付ける雰囲気はありません。

理由は簡単です。機械には硬貨の基準のサイズが覚え込まれていて、それにあわないもの、つまり規定外のものは受け付けないようにできているからです。

この規定外は、いまの堅苦しい世界の象徴のようです。

もしわたしが規定外の性格をあらわにすれば、きっと磨り減った硬貨同様、世界から弾き飛ばされてしまうでしょう。

いま、わたしたちは規定外にならないようにと、毎日毎秒必死の努力を続けている。これが、かつてわたしたちが夢見た「ばら色の未来」のリアルというものです。

便利さの背景にある、非人情なもの。

ならば便利でないほうが、もっと気楽にいられたのにと思います。

いまさらこの文明社会を壊す訳にはゆかない。

それはよくわかっているつもりではありますが。


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勝つための方法なんて・・・? [人生]

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勝つための人生とかなんとか、そんな言葉はどうにも好きになれません。

そもそも勝つとは、どういうことなのか。

 

勝つ限り、負ける人がいる。

いまの世界の貧困層などは、まさに負けを強いられた人たちといえるでしょう。

では、彼らは負けるべくして負けたのでしょうか?

負けることは彼らの責任だといえるのでしょうか。

 

世界が100人の村なら、そのうちの1人は瀕死の状態にあるとか。

その1人を、

お前は負けたのだから、死ぬのは当然だと突き放すことができるのでしょうか?

 

勝つための方法とか、そんなことを嘯く人がいますが、わたしには胡散臭いし、世界の流れを乱すだけの連中のように思えます。

 

勝つとか、負けるとか、そんな言葉がゲーム以外の場所でたびたびお目にかかるようになりました。

そしてそんなことに、なんともいえない不愉快さを覚えるようになりました。

 

そしてわたしは「勝ち組」とか「負け組」という言葉をひどく嫌うようになりました。

 

この言葉を使わないようにすることで、いまの格差社会解消への端緒が見えてくるのでは。

これはわたしの短絡なのかも知れませんが、どこか実感としてあります。 

 


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不機嫌と戦わない [生活]

 今年アメリカのアカデミー賞で、「外国語映画賞」を、日本映画で初めて受賞した「おくりびと」。

 日本では昨年公開されましたが、アカデミー賞候補になった頃に、再び上映されいまでも各地の映画館で凱旋ロードショウされています。

  わたくし、この映画を今年3月に見てきました。アカデミーの候補になって、あわてて見に行ったようなわけです。

 映画はなるほどすばらしいと思いました。いろいろとテーマがありますが、ここでは主人公の生き方について自分なりに考えたことがありますので、それを述べてみたい。

  主人公はプロの音楽家から「納棺師」という仕事に転職します。華やかな芸術の世界から、一転して葬儀の裏方に回されるわけです。

 自分の思うような仕事に就けるのは、かなりラッキーな人でしょう。主人公の落胆、人生へのなんともいえない失望感。

 しかし主人公は葬儀の仕事に次第に気持ちが溶け込んでゆきます。決して情熱とかいったものではありません。遺族から向けられた感謝の言葉が、主人公の仕事への気持ちを変えてゆく。

  人は生きる場所を求めるもの。その生き場所を得られたことが、主人公の大きな転機となります。

  わたし自身、決して満足できる仕事にいまいるわけではありません。これを不遇というのでしょうが、この生活を始めた当初はいろんなことに腹が立ちました。

 

 とくに、「格差社会」。

 これが自分の不遇の原因ではないか、と。

 それもたぶん一理あると思います。がしかし・・・

 生きることの結果は所詮「自己責任」ともいえると思うようになりました。

 いままでの「つけ」みたいなものの清算。これは必ずどこかでつけなければならない。

 

 それが生きているときなのか、それとも死ぬ直前になるのか。

 債権取立てがいつ来るのかは、誰にもわかりません。

 しかしそれは必ずくる。もし自分に来なければ、家族に来る。

 

 おそらく、命の借金とか「つけ」といわれるもの。不遇の原因となっている負債には、通常の財産と同じで相続されるもののようです。

 ならば感受。そこから別のことを考え、行動してみよう。

 自分の借金は、自分で返すということを考えてゆこう。

 

 何だか、立派なことをいっています。

 実は不機嫌に嫌気がさしただけなんですが。 

 

 


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